2009年 09月 04日
富田さんが周ピアノ修復に一役 |
富田さんが、ピアノの修復にかかわった記事が朝日新聞に載っていました。
写真で左端が富田さん。ここは彼の工房のようです。
記事によると、上海でピアノ製作技術を習得した周ショウ生氏が1912年(明治45年)頃横浜中華街の一角で作り始め、関東大震災で亡くなったあと息子さんが引き継いだが、横浜空襲で工場が焼失したため制作は途絶えた。
明治末から終戦までの30年間作り続けられたピアノは周ピアノと呼ばれ、現在全国で15台確認されているが、5年前に旭川市内の民家で見つかり、北海道教育大学が購入したものを音楽学の市川信一郎教授が埼玉県在住のピアノ技術者狩野真氏に修復を依頼、カエデやエゾマツの1枚板を使ってあったことから木工家具製作者の富田さんが一役買ったようです。
(天野記)
写真で左端が富田さん。ここは彼の工房のようです。
記事によると、上海でピアノ製作技術を習得した周ショウ生氏が1912年(明治45年)頃横浜中華街の一角で作り始め、関東大震災で亡くなったあと息子さんが引き継いだが、横浜空襲で工場が焼失したため制作は途絶えた。
明治末から終戦までの30年間作り続けられたピアノは周ピアノと呼ばれ、現在全国で15台確認されているが、5年前に旭川市内の民家で見つかり、北海道教育大学が購入したものを音楽学の市川信一郎教授が埼玉県在住のピアノ技術者狩野真氏に修復を依頼、カエデやエゾマツの1枚板を使ってあったことから木工家具製作者の富田さんが一役買ったようです。
(天野記)
by wakakenn
| 2009-09-04 08:29
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