2007年 03月 04日
真珠庵の障子と吉村障子 天野俊歩 |
真珠庵の障子、迎川さんは撮影が許されたのですね。私は責任者と思える女性に障子だけでもと許可を求めたのですが「住職さんが・・・・」といって困った顔をされたのでそれ以上要求しませんでした。押しが足りなかったかな~・・・・。
さて障子ですが、真珠庵の障子はもちろん吉村障子が表現しようとしているものとは違います。(それはひとまず横に置いて)しかし迎川さんは言及していませんが組子と上下の框の見付は同じですね。そこに吉村障子のねらいと共通するシンプルな美しさを私は感じたので原点はこれかな?と思ったのです。
ただ真珠庵では左右の框は組子より見付も見込みも若干大きく作ってあるのはその通りです。組子の間隔も狭いことと共に、同寸の見付を持つ組子と框で作られた面を左右の若干太い縦框がはさんでいる姿は左右に動くことが多い建具として理にかなったデザインだと私は思います。
一方吉村障子は美しさを追求したためか、組子間隔が大きくなったにもかかわらず縦框と組子の見付が同寸なので動かすことを躊躇してしまいそうなほど華奢になりそうです。しかし組子のやや大きな見付寸法と面をとっていない姿がそれを救っています。けれども私には逆にそれがごつさを感じさせてしまうのです。
吉村障子は特に閉めたときに何枚もの障子が一体となって一面の壁に変身しますね・・。と、ここまで書いて気がつきました。吉村さんは障子を動く建具としてではなく静止している壁としてデザインしたのかな?(今頃気がついたの?と言われそうですが)そうだとしたらこのデザインも理解できます。しかしそうならば(ねらいからいけば面をとることはできませんので)もう少しでも組子と框の見付を小さくしてくれれば私が感じるごつさがなくなりさらに美しかったのでは。ただ動く以上はこの見付寸法が和紙の面剛性を考慮したとしても限界なのかもしれません。
もっとも吉村さんは「これでいいんだよ」と軽く受け流すでしょうけれど。
ところで高桐院は私も好きなところです。室内の写真もありますが、後から訪れた真珠庵の件から、もしかしたらこちらも室内は撮影禁止だったのを注意書きに気がつかなかったのかな?と思って私のブログにも載せませんでした。
さて障子ですが、真珠庵の障子はもちろん吉村障子が表現しようとしているものとは違います。(それはひとまず横に置いて)しかし迎川さんは言及していませんが組子と上下の框の見付は同じですね。そこに吉村障子のねらいと共通するシンプルな美しさを私は感じたので原点はこれかな?と思ったのです。
ただ真珠庵では左右の框は組子より見付も見込みも若干大きく作ってあるのはその通りです。組子の間隔も狭いことと共に、同寸の見付を持つ組子と框で作られた面を左右の若干太い縦框がはさんでいる姿は左右に動くことが多い建具として理にかなったデザインだと私は思います。
一方吉村障子は美しさを追求したためか、組子間隔が大きくなったにもかかわらず縦框と組子の見付が同寸なので動かすことを躊躇してしまいそうなほど華奢になりそうです。しかし組子のやや大きな見付寸法と面をとっていない姿がそれを救っています。けれども私には逆にそれがごつさを感じさせてしまうのです。
吉村障子は特に閉めたときに何枚もの障子が一体となって一面の壁に変身しますね・・。と、ここまで書いて気がつきました。吉村さんは障子を動く建具としてではなく静止している壁としてデザインしたのかな?(今頃気がついたの?と言われそうですが)そうだとしたらこのデザインも理解できます。しかしそうならば(ねらいからいけば面をとることはできませんので)もう少しでも組子と框の見付を小さくしてくれれば私が感じるごつさがなくなりさらに美しかったのでは。ただ動く以上はこの見付寸法が和紙の面剛性を考慮したとしても限界なのかもしれません。
もっとも吉村さんは「これでいいんだよ」と軽く受け流すでしょうけれど。
ところで高桐院は私も好きなところです。室内の写真もありますが、後から訪れた真珠庵の件から、もしかしたらこちらも室内は撮影禁止だったのを注意書きに気がつかなかったのかな?と思って私のブログにも載せませんでした。
by wakakenn
| 2007-03-04 06:55