2007年 08月 14日
コルビジュエ展 |
古平さんのブログにもあったコルビジュエ展に昨日行って来た。お盆休み中の月曜日だからすいているだろう思ったのだが、意外な込みようであった。
建築家展などに来るのは以前はそれらしき学生が多かったのだが、見ていると一般の人や家族連れなども多い。それだけ建築に関心が向けられてきたのであればうれしいが、目当てはついでに入れる展望台か。
写真や模型が展示されている建物の多くは、かつて訪れたり、ラトゥーレットの修道院みたいに泊まったことのあるものもあるが、ユニテ・ダビタシオンは学生時代に大いに関心を持ったにもかかわらずマルセーユもナントも訪れていない。だから実物大の模型が造られ、実際に中に入れるのはうれしい。そしてラトゥーレットの修道院の僧房でも感じた空間の心地よさがここでも感じられた。
しかし建物はやはり実際に訪れてみないとわからないことが多い。ロンシャンの教会堂の内部のわずかにスロープになっている床のすばらしさ、隣の人の顔も解らないようなあの暗さ、天井と壁の隙間からもれる光による鯨の腹のような天井の浮遊感などは展示ではわからない。
サヴォワ邸には3回訪れたが、映写されたCGの視点は私より若干高い気がする。実際私には色々疑問点もある建物だ。それに日本文化の中で育った人間にとってはヨーロッパの文化で育った人たちが受けたほどの衝撃はない面もあろう。
しかし彼が残したおびただしい絵や彫刻を見ているとやはり巨匠である。
最後に晩年を過ごしたカップ・マルタンのレストランに増築された小さな家の内部が復元されていて中に入ることができる。いっぺんに5,6人が限度だから行列だ。しかしこんなに並んでも見たい人が多いのは週末住宅へのあこがれがあるからか。だがその粗末さにみごとに裏切られるだろう。空間的にも無理がある。コルビジュエではなく私が設計したとしたら若建メンバーからさんざんの酷評を受けるかもしれない。
建築家展などに来るのは以前はそれらしき学生が多かったのだが、見ていると一般の人や家族連れなども多い。それだけ建築に関心が向けられてきたのであればうれしいが、目当てはついでに入れる展望台か。
写真や模型が展示されている建物の多くは、かつて訪れたり、ラトゥーレットの修道院みたいに泊まったことのあるものもあるが、ユニテ・ダビタシオンは学生時代に大いに関心を持ったにもかかわらずマルセーユもナントも訪れていない。だから実物大の模型が造られ、実際に中に入れるのはうれしい。そしてラトゥーレットの修道院の僧房でも感じた空間の心地よさがここでも感じられた。
しかし建物はやはり実際に訪れてみないとわからないことが多い。ロンシャンの教会堂の内部のわずかにスロープになっている床のすばらしさ、隣の人の顔も解らないようなあの暗さ、天井と壁の隙間からもれる光による鯨の腹のような天井の浮遊感などは展示ではわからない。
サヴォワ邸には3回訪れたが、映写されたCGの視点は私より若干高い気がする。実際私には色々疑問点もある建物だ。それに日本文化の中で育った人間にとってはヨーロッパの文化で育った人たちが受けたほどの衝撃はない面もあろう。
しかし彼が残したおびただしい絵や彫刻を見ているとやはり巨匠である。
最後に晩年を過ごしたカップ・マルタンのレストランに増築された小さな家の内部が復元されていて中に入ることができる。いっぺんに5,6人が限度だから行列だ。しかしこんなに並んでも見たい人が多いのは週末住宅へのあこがれがあるからか。だがその粗末さにみごとに裏切られるだろう。空間的にも無理がある。コルビジュエではなく私が設計したとしたら若建メンバーからさんざんの酷評を受けるかもしれない。
by wakakenn
| 2007-08-14 12:20